いっぱいあった幸福も

少し前にセクハラで大好きな教授が解雇になった。学生時代に私はその教授の授業をいくつか取っていた。すごく面白くて大学で学ぶこととは何かを教えてもらった気がする。もちろんその教授がやったことはノーだけど大学にとって、学生にとってあの人を失ったことが痛手であるのは間違いない。そしてこのセクハラ問題はコースの名物教授たちにも次々飛び火して、もはやコースの存続が心配になるところまできてしまった。一方現在私が勤める会社ではこの問題と同レベルのセクハラはゴロゴロあって、その都度解雇してったら会社から人いなくなっちゃうんじゃないかなってくらい。だからってセクハラを許そうとか下に基準を合わせるって話じゃないしセクハラはまじ死んでほしいと体験した身として超超思う。だけど同じセクハラなのに会社のおっさんどもは変わらずのうのうと暮らして今日もセクハラして、社会に必要な人たちは社会から抹殺されてっていう現状にモヤモヤするのである。セクハラされたら笑顔でかわすんじゃなくて真顔で「は?さっむ」と皆が普通に言えて解雇だなんだってエスカレートする前に芽を摘めたらいいのにね。なんてそれがなかなか難しいんだけどさ。